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Posted by naturum at

2024年03月10日

母、逝く(5) 最終回

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

母が亡くなって丁度一か月が経つ。
あっという間だったような氣もするし長い時間が経ったような氣もする。

今は悲しいというよりホッとしているというのが正直なところ。
わたしの一番の命題は「母より長生きしなければならない」ということだった。

もしわたしに何かあったら、母は心細さと悲しみのあまり大変なことになってしまうのではないかと感じていたから、人生の最低限の務めは果たせたと思っている。

お母さん、愛してくれてありがとう。
力になってくれてありがとう。

心配してくれてありがとう。
わたしのこの先の道のりを示してくれてありがとう。

今まで本当にありがとう。


母とふたり

母とふたり。鎌倉報国寺にて。

母と父

父との珍しいツーショット。微妙に距離がある氣が・・。

母お茶の稽古

右の下ぶくれが母。80年ほど前の写真。

お母さん大好き

昭和40年、平和島にて。7才にしてこの甘えっぷり。ヤバイ・・。



つづく
  


Posted by makioka77 at 16:55Comments(0)マキオカの家族

2024年03月02日

母、逝く(4)

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

ここのところ母の遺品整理をしている。

「人が亡くなるとこんなにたくさんに物が残されるのか」とため息を吐く。
母は綺麗好きで物をどんどん捨てるタイプにも関わらず、意外なほど荷物が多い。

母はお洒落な人だったから洋服が山ほどある。
母の妹に見てもらって欲しいと言ってくれたものは差し上げ、後は全て捨てた。

昔であれば価値があったであろうミンクのコートは、重い上に動物虐待で白い目で見られそうだし、何より日本の風土に合わない。
だが捨てるに忍びないので、我が家の押し入れの奥に押し込める。

踊りの師匠だった母は着物や帯もすごい量。
母と体型が似ているわたしが引き受けることになり自宅に運んだ。
半分に減らし、業者に引き取ってもらうことにしたが、それでも箪笥二棹で収まらなかった。

でもねー、着物って頑張っても年に1、2回着るくらいだし、わたしは着付けも下手くそだし、もしシミを付けたら大枚が飛んでいくんだよね・・・。
これが現金だったら結構な額なんだろうから嬉しいんだけどなー、と恨めしい眼差しを送ってしまう。

未使用の毛染め薬やハンカチ、新品同様のバスタオルや食器をもったいないと思いながらも、さっさとゴミ袋に突っ込んでいく。

先日はついにアルバムの処分に手を付けた。
写真をスキャナーで取り込むため取捨選択をしていくのだが、これは母の人生を辿る作業だった。

分厚いアルバムを積み上げ一枚一枚確認していく。

十代であろう頃のお茶のお稽古をしている写真。
旅行好きの母らしく、町内会や仲間とあちらこちらに行き、夜には宴会やダンスを楽しんでいる写真。
まだ国交を始めたばかりの中国に行き、万里の長城や天安門広場で撮った写真。
香港、台湾、スイスやフランス、わたし達家族と行ったグアムやサイパンの写真。
人生初のスキー、シュノーケルをしている姿。
踊りの師匠としてお弟子さん達に踊りの稽古をつけていたり、発表会で踊っている姿。
孫達を抱き抱え、嬉しそうに微笑む姿。

大量の写真を見ながら気がついたこと。

母は仲間が多く楽しそうだった。
エネルギッシュでパワフルで、やりたいことはどんどんやり、そして結構贅沢をしていたように見える。

驚いたことに、大量の写真があるにもかかわらず、家族四人で旅行に行った写真がほとんどない!
父と二人で撮った写真に至っては二枚しかない!!

ふーむ。
文句ばかり聞いていたから意外な感じがするが、結婚生活以外は結構充実した人生だったのではないか。

なんだかんだ言っても写真って人生が現れるのね。

結局、母は腕にお気に入りの数珠(ふんどし息子がブッダガヤで買ったお土産)をつけ、白地に黒い絞り模様の着物を着せてもらい、その上に四国八十八箇所に巡礼に行った際の白衣を掛け、枕元に伏見稲荷から頂いた手拭いを置き、あの世に旅立った。

それにしても今回の遺品整理は自分の人生を考えるきっかけになった。
わたしの人生が終わった時、子どもや孫はどのような気持ちで遺品を見るのだろう。

それはともかく。
人生いつ何があるかわからない。
出来るだけ早く自分の家の片付けをしなければ、と心に誓うわたしなのでした。

つづく
  
タグ :遺品整理


Posted by makioka77 at 12:54Comments(0)マキオカの家族

2024年02月23日

母、逝く(3)

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

今思い出してもわたしの両親は仲が悪かった。
それは家庭内別居のような静かなものではなく、母が父に「騙された!」とか「いついつこんな目に遭わされた」と当てこすりや嫌味を言い、それに対して父は聞こえないフリをしたり「キノエ(二番目の妻)が一番大人しくてよかった」などと言い母を煙に巻いていた。
時として激昂した父が「なにい!」と叫び立ち上がることもあったが、母は怯むことなく敢然と立ち向かいながら手近にあるものを掴むという、子どもの教育上大変よろしくない夫婦関係だった。

母は父が亡くなった後、父や父の先妻達と一緒の墓に入りたくないと言い、祖母が亡くなった際別の墓を立て自分はそこに入ると言い出した。

この夫婦を見て育ったわたしは「結婚する人の第一条件は絶対に仲良く出来る人にしよう」と決意したほど、反面教師としては優秀だったと思う。

母は寝た切りになってせん妄が始まった。
以下は亡くなる二週間ほど前に娘から聞いた話だ。

母「すみませーん、すみませーん!」(ヘルパーさんを呼んでいるらしい)
娘「どうしたの?」
母「体を持ち上げて欲しくて寅一(父)に頼んだのに何もしてくれない。呆けた顔して足元にいるのに。あんな呆けた寅一は初めてだよ。こんな顔している」(父の顔真似をする母)
娘「座りたいと言っても無理だよ」
母(再度足元を見て)「そこにいた寅一がいなくなった」
娘「トイレじゃない?」(話を合わせる娘)
母「トイレに行くはずがない。外に出たと思うから探して来て。心配だから」
(仕方なく探す振りをして一旦外に出てから戻った娘)
娘「やっぱりいなかったよ」
母「そりゃもう死んでるんだからいるわけない」

娘は最後のセリフのあまりの理不尽さに呆然となったという。

あんなに仲が悪かったというのに母は父の心配をし、母を迎えにきたのは父だったらしい。
夫婦というものは本当にわからないと思う。
・・・それにしても迎えに来た父が呆けた顔だったのは何故だろう?

それはともかく。

先日娘が「そういえばママ、前にばーばの寿命の夢見たって言ってたよね」
え?言われてみればそんな氣も・・・。

帰宅して早速「夢日記」を調べてみる。
2年ちょっと前、夢の中で祖母が母に向かって「あと一年の寿命だよ」と言う。
わたしはそんなことを聞いて母が絶望しないか心配している、という夢。

母は何度も死にかけ、その都度この世に舞い戻ってきた。
ニュースで死亡と出るほどの交通事故からも硬膜下血腫からも頭蓋骨骨折からも生還した。
それ以外にも大腸がん、腸ヘルニア、白板症、白内障の手術、胆嚢摘出、緑内障と満身創痍。

我々家族の中では「不死鳥榮美子」との通名があったが、母の寿命はもう尽きていたのかもしれない。

つづく  


Posted by makioka77 at 14:27Comments(0)マキオカの家族

2024年02月18日

母、逝く(2)

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

二人の妻に死に別れ先妻の子供が八人いる父の三番目の妻として、母はわたしと姉を産み育てた。
父は母より20才も年上で、手がけていた事業が上手くいっていた頃母と知り合ったが、しばらくして倒産してしまった。
すでに先妻の子どもを押し付けられていた母は別れるわけにもいかず、戦争で没落してしまった実家に頼るわけにもいかず、長男は母と一才しか違わないという複雑な人間関係の中、四苦八苦しながらまだ小さかった先妻の子どもとわたし達姉妹を育ててくれた。

若い頃から口八丁手八丁と周りから言われていた母は父と一緒に新たに始めた商売を軌道に乗せたが、夫婦関係は最悪だった。
わたしは中学生の頃「こんなに相性が悪い夫婦なのに、なんで別れないんだろう」と思っていた。

2月14日に通夜、15日に告別式を終えたが、そこは二人の先妻の子ども達、孫、ひ孫で溢れていた。
さらに長年やっていた日本舞踊、町内会の関係者の方々も来てくださった。
葬儀を人生の集大成として見るのであれば、母の人生は天晴れというものであったろう。

今は病院で最期を迎える人が大多数だという。
母の家の二階にはわたしの娘家族、隣に姉と甥家族が住んでいて、毎週わたしと息子が母の治療と世話をしに通っていた。
母の体調が崩れた12月に介護保険の見直しをお願いして要介護5の認定をしてもらったので、隔週で訪問ドクター、週2回訪問ナース、週1回の訪問入浴、訪問リハビリをお願い出来た。
基本一日3回ヘルパーさんにおむつ替えに来てもらい、家族はおしゃべりしたり世話をして過ごせるようにして、長期に渡る介護生活を覚悟した。
とはいえ、これは周囲に親族が多かったから出来たことかもしれない。

結局その生活は2ヶ月で終わったが、自宅介護が可能であれば是非チャレンジして頂きたいと思う。

この介護の仕方を決断をした理由は祖母だ。
医者に勧められ胃ろうをした祖母は植物人間となって病院を転々とし、意識のないまま8年近く老人栽培の餌食となった。
わたしはその状態を見て「無限地獄が現世に顕現している」と感じ、ゾッとした。

いつ終わるかもしれない無明の闇。
一見意識がないように見えるが、本当のところはわからない。

自宅介護は母には最期まで美味しいものを好きなだけ食べ、家族と接し、意識を保った状態でいて欲しいと願った結果の選択だった。

つづく

  


Posted by makioka77 at 20:31Comments(0)マキオカの家族

2024年02月16日

母、逝く(1)

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

2月9日の朝9時頃、電話が鳴った。
出ると姉がくぐもった声で「お母さん、冷たくなってるって」と言った。

えっ、どういうこと?
30分程前、姉に「やっぱり明日、お母さんの家に泊まりにいくね」という連絡をしたばかりだったのに。

詳しく聞くと、朝9時にお願いしているヘルパーさんが来た時、家の鍵が開いていなかったので(いつもは2階に住んでいる娘が開けていた)隣に二世帯で住んでいる姉の息子のお嫁さんのRちゃんに開けてもらったという。
二人で母が寝ている部屋に入り、ヘルパーさんはいつも通り仕事を始める準備をしていたが、Rちゃんは母の顔色がいつもと違うことに氣がついた。
(Rちゃんは母を氣にかけ毎日顔を見に来てくれていたから、いち早く異変に氣がついてくれたんだと思う)
Rちゃんが声をかけながら近づいてみると、母は呼吸が止まっていた。
両手を胸の辺りに組み正面を向いて、まるで眠っているように見えたという。

前日わたしが息子と実家に行った時、母はいつになく「苦しい。なんとかして」と訴えてきた。
胸をさすればお腹、お腹をさすれば脊椎と、痛みは移動する。
息子がお灸をしたが、それよりさすってほしいと訴える。
「痛い」と言うのはいつものことだが「苦しい」というのはあまり聞いたことがない。
この間まで食欲があったのに、今日は何も食べたくないと言う。
途中少しだけ吐いたので(これも初めてのことだ)着替えをさせたが、とにかく「苦しい!」と言い続ける。

「なんとかして」と何度も訴えられ、とても辛い。
わたしに出来ることは何もないのだから。
週に一、二度は泊まるようにしていたが、「今週は泊まるの辞めようかな」と考える。
一晩中、この声に付き合うのはちょっと無理かもしれない。

もしかしたら腸閉塞の可能性があるのか?
ただ入院させたらもう二度と家に帰って来れないだろう。
明日は訪問ナースが来てくださるので相談してみよう。

17時にヘルパーさんが来るのでお任せすることにし「息子の仕事があるから」と言って帰宅した。
その後姉が来て21時前まで一時間ほど体をさすってあげ、姉が帰り際「明日お昼頃来るから」というと「うん、待ってる」と返事をしたという。

姉もわたしも「もっと居て欲しい」という母を振り切って家に帰った。

「切りがない」と思ったし、この日常がずっと続くと思っていたから。
だけど続くと思っていた日常は唐突に終わった。   

つづく  


Posted by makioka77 at 14:15Comments(0)マキオカの家族

2024年02月05日

大嶽山那賀都神社節分祭で令和六年を占う

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

一昨日の2月3日、わたしの崇敬する大嶽山那賀都神社の節分祭に行ってきました。

大嶽山那賀都神社の節分祭は今年を占う知る人ぞ知るスゴイお祭り。
だからお手伝いする崇敬会の方達の取り組み方も、否応なく力が入る。

それにしても、今思い起こしても不思議なのは令和二年の節分祭。
あの年は本当に異例づくしだった。

儀式のために積んでおいた細い木が崩れて辺りに散乱してしまう。
井桁の細木に、なんとしても火が付かない。
更には火の付いた神前のロウソクが倒れてしまい、儀式の最中、宮司の烏帽子が落ちるという信じられないアクシデントも。
そしてその後、あの世界を揺るがすコロナ禍が起こった。
あの年の節分祭はそのことを予言していたとしか思えない。

今年の節分祭は、関係者のご努力でいつもよりスムーズに始まったように思う。
ご祈祷のあと、日原宮司が蝋燭から火を移し、井桁に組んだ乾燥した枝に火をつける。
「今年はどんな結果になるのか」と固唾を飲んで見守る参列者たち。

                     節分祭 火付け

当初、火のついた井桁の枝はそれ程火力が上がるわけではなかったが、徐々に力をつけていく。
順調に節分祭は進みご祈祷のお札、皆様にお配りするお菓子まで浄火で清める。

節分祭 炎

以前はお菓子等も撒いていたが、コロナ後はお渡しするお菓子を事前に袋詰めしておき、紅白のお餅と大豆のみ撒く。

豆まき

無事に節分祭、直会、片づけを終え、最後に崇敬会の面々が挨拶を交わし終わった直後、異変が起こった。

地震だ。
下から突き上げるような、地下に空洞があってそこから棒で突かれたような、不思議な感覚だった。

皆顔を見合わせ、地震情報を確認する。
どうやら震度3の地震があったらしい。

ここ大嶽山那賀都神社は不思議な神社だ。
社伝に「天武天皇の頃、役行者小角が当山の霊験あらたかなるをもって修験道場として開山。昼夜連日鳴動したことから当山を「大嶽山鳴渡ヶ崎(なるとがさき)」と呼び(そこからの転化で「那賀都(ながと)」になっているという)、さらに元正天皇養老元年(717)に奥宮から遷座をおこなった際にも鳴動したといわれている。」とある。
この「昼夜連日鳴動」が、あの3・11の前後続いたという。
下から突き上げるような鳴動が3・11の当日はピタリと納まったと、当時を知る関係者は口を揃えていた。

これから書くのは、わたしの直感による個人的な感想だけど(言っておくけど、ホントにあくまでも個人的な感想ですからね!)粛々と進んだ令和6年は、安心しかけた年末辺り、注意が必要なのではなかろうか。

氣を付けるに越したことはない。

あ、そうそう。
この日見た夢は、マキオカネイチャークラブに40人くらいの団体さんと100人の団体さんがダブルブッキングをしてしまい青ざめるというしょうもないモノ。

ダブルブッキングには目を瞑り「今年は商売繁盛間違いなし!」といい事のみを信じるわたしなのでした。

つづく  


Posted by makioka77 at 18:15Comments(0)マキオカ徒然

2024年02月02日

介護入門

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

介護を始める際、決めたことがある。
1 したい事や好きな事は我慢しない。
2 周りに協力を仰ぎながら、一人に負担が偏らないようにする。
3 長期戦を覚悟して、息抜きを忘れない。

眉間に皴を寄せて髪振り乱して介護をするのは、する方もされる方もつらい。
恨めしい気持ちも生まれてしまうし「早く介護生活、終わらないかな」と思い、人間の出来ていないわたしは不穏なことを考えてしまってもおかしくない。

12月8日にケアマネに連絡し、介護認定の見直しをお願いする。
そしてヘルパーさんを生活援助から身体介護に変更してもらい、寝たきりでオムツを着け始めた母に対応してもらうことにした。

介護認定には時間がかかると言われていたが、運がいい事にキャンセルが出たとのことで12日に認定の面接を受けることが出来た。
今まで往診をお願いしていたドクターから訪問ドクターに代わって頂き、訪問ナースもお願いすることにした。
新聞や定期的に送ってもらっていた野菜ジュースを止め、会わせたい親類縁者に連絡する。

こうやって日常生活がうまく回るようにしていく中で、介護用品やヘルパーさん達が使っている小物に感心させられた。
時代は変わってるんだね。

まずは床ずれが出来ないように、自動で動くというエアマット。

『エアマットレス内の足元に搭載されたマイクロクライメイト対応のファンモーターがエアマットレス内にこもった熱と湿気を吸い込み、外部に排気。
常に効果的な空気の流れを作り出し、24時間、皮膚局所の温度と湿度の状態をより快適に保つことを実現。 そして、このシステムは背上げの時でも変わらぬ効果を生み出します』

ベッド コントローラー (1)変更

こんな感じでいろいろな場所が動いて床ずれを予防するってワケ。

ベッド (1)変更

次にオムツを替える時に使うペットボトル。
キャップに穴があけてあって、ここに人肌のお湯を入れて洗浄する。

ペットボトル

栄養ドリンク(お医者様に出してもらう)とレトルトの介護食。
こんなのあったなんて知らなかったー!

栄養剤等

飲み忘れがないように薬カレンダーも活用。
これがあるとないとでは大違い。

薬ケース (1)

介護もなかなかに奥深い。

まあ、こんな風に介護の世界も進歩してるんですな。

つづく


            
  


Posted by makioka77 at 13:42Comments(0)介護日記

2024年01月27日

介護の始まり(2)

です。

母は以前(本心かどうかわからないけど)「介護が大変になったら病院に入れて」とよく言っていた。
わたしは「出来るだけ病院には入れないよ」と答えていたが、それには理由があった。

祖母は平成19年に亡くなったが、それまで5年ほど胃ろうをしながら3ヶ月毎に病院を転々とした。

当初腹痛で入院した93才の祖母は、腸閉塞と診断された。
しばらく入院したが、病院の若い医者に呼び出された母は「このままでは食事をした時誤嚥して肺炎になりやすいです。そのまま亡くなる可能性もあるので、胃ろうをお勧めします」と言われた。
続けて「もし胃ろうをするのなら、出来るだけ早く決めて下さい」と畳み掛けるように迫られた。

「 胃ろうは胃に管を通し直接栄養を流し込む手術が必要です」と説明されたが、突然降って沸いた話に当惑した母は、自分の判断によって親を死なせてしまうことになるのを恐れ、胃ろうの処置をお願いしてしまった。

今のようにその場でスマホで調べられる時代ではない。
後から胃ろうにはいろいろ問題があることを知り、後悔したが後の祭り。
母はその時の判断を激しく後悔することになる。

延命治療は一度スタートすると、途中で中止することは基本的に出来ない。
命を支えている人工栄養をやめるという選択は、人工呼吸器のスイッチを切るのと同じ意味合いになり、命を終わらせる行為につながるからだ。

祖母は胃ろうの手術を受けた後、あっという間に植物人間のようになり、問いかけに答えるどころか意思の疎通さえ出来なくなってしまった。
そういった老人は一つの病院に3ヶ月しか留まることができないから、入院してすぐ次の病院を探さなければならない。

お金がかかるのもさることながら、3か月ごとの病院探しに奔走することに母は疲弊した。
こんな生活が5年近く続き、ベッドに括り付けられて死んだように寝ているだけの祖母を見ながら「自分は絶対に延命治療は受けない。胃ろうもしない」と母は断固と言った。

当時、見舞いに行くと、祖母は口を半開きにしてこんこんと寝ている。
話しかけようが、手をさすろうが、何の反応もない。
わたしはぼんやりと「これは現実世界に無限地獄が顕現しているのかもしれない」と思った。

明日終わるかもしれないし、10年ずっと続くかもしれない。
傍から見たらわからないだけで、意識がありながらもそれを伝える術がないだけかもしれない。
そうであったのなら、それは正真正銘の地獄だ。

いつまで続くかわからない地獄。
もし自分がその立場になったと想像しただけで気が遠くなる。

5年前に書いた『母が冥途に行きかけた(1)〜(4)』は母が入院した時のあれやこれやを書いたのだけれど、あの経験も病院に対する見方を変えた一因だ。

母が冥途に行きかけた(1)

『言い方は悪いが、ここは老人栽培施設だ。
この病院はまるで生産農家のように、植物が窒素やカリウム・リンなどをはじめ色々な栄養を液肥で注入するかのごとく、老人を点滴につなぎ、効率的に収穫できるよう、命を長らえさせている。
老人たちは水耕栽培されているカイワレ大根のように、ただひたすらお金を生み出している』

『老人たちは、皆一様にボンヤリと空を見つめている。
テレビを見るわけでもなく、おしゃべりするわけでもなく、笑い合うわけでもなく。
その表情からは意思を感じ取ることができない。
いや、植物に意思があっては困るのだ』

『ここは本当に地獄だよ。前に寝ているあのおばあさん、オムツを変えてほしいって言うんだけど、看護婦さんは『忙しい』と言って全然来てあげないの。そうすると『看護婦さ~ん、オムツ変えて~』って、一時間ぐらいずっと言っているんだけど、無視。そのうちオムツを変える時間が来て、一斉に部屋の人全部のオムツを変えるんだけど、寝ている人を起こしてまで変えるくせに、そのおばあさんは一番後回しにされちゃうんだよ。ありゃ、いじめだよね』

『隣の病室で『家に帰りたい』って騒ぐ人がいるんだけど、その人に対して『うるせえ!静かにしろよ!!』ってすごい乱暴な言い方で脅すんだよ。そうするとその人は余計泣き叫ぶ。まるで暴力団みたいだよ』

全てを真に受けるつもりはないけれど(わたしも「母がボケて幻覚を見ているのでは?」と疑った)状況を見ていると「あながち幻想とばかり言えないかも」と思うようになった。
ちなみにここの病室は男女混合で、付き添いは出来ない規則だ。

まあ、こういうわけで母はもちろん自分自身も延命治療は勿論、出来たら施設や病院も避けたいと思っているの。

今や自宅で最期を迎えるのは恵まれた境遇でなければ出来ない時代になった。
幸い我が家は他のご家庭よりも人手が確保しやすい環境にある。
福祉の力を借りつつ、母をできるだけ自宅で過ごさせてあげたい、と考えるようになったのだった。

つづく
  


Posted by makioka77 at 22:24Comments(0)介護日記

2024年01月21日

介護の始まり

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

母の体調が悪くなった大きな要因は下痢だった。

母が倒れる数日前、母に言われて新米を仏壇にあげ、しばらくしてご飯をタッパーに詰め冷蔵庫に入れた。
次に行った時、まだご飯があったので「これ、もう捨てた方がいいよ」と言ったが「捨てないで」と言われたのでそのままにしておいた。
どうやらその古くなった米を食べて、腹を下したらしい。
「あー、捨てときゃよかった」と思ったが、あとの祭り。
結果、下痢で体力がなくなった母は、足がもたつき何度も転んでしまい寝たきりの道を爆進してしまう。

今思い返しても、この頃ホント大変だった。
リハビリパンツからオムツに変えたのはいいけれど、おむつ交換とかしたことないし、下痢対策もよくわからない。
臭いが家中に充満し、シーツもマットレスもダメにしちゃった。

12月6日、いつも訪問して頂いているドクターに来てもらったが、その時同伴した姉から夜に電話があった。
(ちなみに姉はこのお医者様にかかっているから結構親しい)
「〇〇先生から、あと一週間って言われたのよね」
「え?どういうこと?」
「わたしの目を見てこっそり指を一本たてたのよ」

確かにここのところ母はボーッとしていて元気な時より無表情だし、オムツはしているし、せん妄出て来ちゃってるけど、あと一週間ってそんなことある?
「後から何か言われた?」と聞くと「何も言われなかった」とのこと。
??
何を根拠に?
経験則?
直感?
ドクターが何を意図しているかわからない。
まあ、指一本は一ヶ月かもしれないし一年っていう意味かもしれないし・・。
まさか静かにっていう意味じゃないよね?

その後、暇を見つけては実家に行き泊まったが、夜中何度も起こされてせん妄と付き合う。
はー、つらい。

介護をしている皆さん、日々こういった作業をこなしているのね(涙)

今にして思うと、この時期を乗り越えられたのは周囲に親族が複数いたから。
前回も書いたけれど、母の家の二階には娘家族が住んでいるし、隣には姉が二世帯で住んでいる。
ヘルパーさんも頼み、わたしと息子も毎週通っているので、人手の確保という意味では他のご家庭よりは恵まれているかもしれない。

母は以前「介護が大変になったら病院に入れて」って言ってたけど、わたしは「出来るだけ病院には入れないよ」と答えていたが、それには理由があった。

つづく  


Posted by makioka77 at 15:16Comments(0)介護日記

2024年01月19日

介護日記始めました!

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

いやー、ホントにご無沙汰しております。
ここのところバタバタしていて、なかなかブログを書けませんでした。
そのバタバタの一つの原因が、母の介護。

今までも何度か母のことはこのブログの中で書いて来た。
初めて母について書いた記事がこちら。

猛母がマキオカにやってきた

あらー、若い!
まあ、10年近く前の写真だから、そりゃ若いよね。
この青い皮のコートとクロコダイルのバッグは母の個性的なセンスをよく表している。
お洒落が好きで、着物も宝石も大好き。
写真を意識すると一番下の写真のようにちょっとおちょぼ口になる。

何度も死にかけながら(この記事のあとも数回死にそうになった)甦った。
思わず「どんだけ復活すんねん!」とつっこみをいれたくなる不死鳥のようなオンナ。
それが母。

が、そんな母も4年ほど前から鼻に酸素を付けて過ごすようになり、すっかり行動が制限されるようになった。
すったもんだあったが、母を説得し数年前から二階に住んでいる娘家族がゴミ捨て等手伝ってくれたり母に何かあったら駆けつけてもらえる状況を作ることが出来た。

ありがたいことに、トイレ前で倒れているところを娘に発見され助けられることが何度かあり、救急車を呼んでもらったことも。
(とはいえ、母は頑なに「そんなに何回も世話になっていない」と言い張った)
トイレに行くためには自身の部屋からリビングに行き、廊下を通らないといけないので、ベッド横にポータブルトイレを置き、夜だけでもこのトイレで済ますようにした。
結果、転ぶことが少なくなったと一安心していた矢先、11月末に足がもつれ転び、救急車で搬送されるもその日のうちに帰ることが出来た。

ところが12月5日、確認の電話をすると、ヘルパーさんが出て「わたし来た時、またベッドの下で倒れていました。なんとかベッドに寝かせました」と仰る。
急ぎ泊まる支度をして駆けつけると、今度は寒いリビングで一人床に横たわる母の姿が。
「あー、やっと来てくれた。もうヘルパーさんが帰った後に倒れて起き上がれないで、ずっとこの姿勢で倒れていたの」
もしや4時間くらいこのままの状態?

「もうね、オムツで用をたすことにしてベッドから起きちゃダメだよ、足が弱っているんだから!」
強く言って何とか寝かせる。

なんでこんなに何度も倒れているのに起き上がろうとするかなー。
おきあがりこぼしかっ!

夜中、母に呼ばれて眠い目をこすりながらベッドに行く。
「箸持って来て」
「何で?」
「魚食べるから。ブリを」(目の前のテレビを指さす)
「魚なんてないよ。夢を見たんだよ」
「菜箸持って来て、あそこにある魚、一緒に食べよう」

うーむ、これがせん妄ってやつですかね。
(3日後、魚がニラに変わり同じ会話をする)

はー、世に聞く「介護生活」が始まりそうな予感・・・。
どうせなら、と備忘録もかねて介護のあれやこれやを書いてみたいと思った次第。

皆様、是非お付き合いくださいませ。

それはそうと。

今のポータブルトイレってすっごくいいんですよ。
うちが買ったのはラップポンっていうのなんだけど、工事もいらない。
1回ごとに密封個包装してくれる。
熱圧着で密封するため中身が漏れず、洗浄の手間がなく排せつゴミは紙おむつと同様に処分でき臭いもしない。
家具調の椅子に見えるから部屋に置いてもいい感じ。
これ考えた人、ホント凄いね。

トイレでお悩みの方は是非!




つづく

  


Posted by makioka77 at 12:41Comments(0)介護日記

2023年09月25日

我が家にジムニーがやって来た

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

いやー、ご無沙汰しております。
氣が付いたら4か月近く経っていました。
ばーさんになると時の経つのが早くなるというのは本当ですな。

この間に変わったことといえば、毎週一人暮らししている(とはいえ隣には姉が、二階にはわたしの娘家族が住んでいる)93才の母の家に泊まりに行くようになったこと。

春頃、食欲がなくなり痩せて来た母は「もうお迎えが来て欲しい」などと言い出すようになった。
それならば、とマキオカの仕事帰りに横浜の実家に行き、一緒に食事をして一泊してから鎌倉に帰ることにした。
すると、あーら不思議、メキメキと食欲が出てきて体重も戻って来た。

もうね、お迎えが来るどころではありません。
わたしの顔を見るたびに「あなたの顔を見るとお腹が空くの」とのたまう。
あたしゃ食欲増進剤かっ!

それまでも体調のいい時にはひとりでウィスキーで晩酌をしていたんだけど、今では末娘との晩酌が楽しみらしく元氣一杯。

とはいえ困ったことも。
晩酌の支度が終わり席に着くと、すでに濃いめのウィスキーが目の前にある。

「いや、ちょっとこれ、濃すぎだから」
グラスに口を付けると、すかさず更についでくる。
「だーかーらー、飲みたければ自分で飲むから」
台所に立つと、さらに濃くなっている。
「ホントに・・もうやめてーー(涙目)」
お蔭で翌朝は頭が痛くなり、ウィスキーが美味しく感じられなくなっている。

仕事帰りに来てくれる娘に対する感謝とサービス精神の発露とは分かっていても、人の言うことを一切聞かずに「そんなに濃くしないから」「これくらい大丈夫よ」しまいには「お願いだから、飲んでー!!」と懇願して来る老母のいうことを聞かないワケにはいかないじゃないですかあ!!

でも、母に食欲が出て来たのは事実。
一昨日なんて、刺身とブリの煮物、牛肉とキノコの炒飯をつまみに、濃いめのウィスキーを飲み「もうこれでお終い」と言ったにもかかわらず「もう一杯持って来て」と言い出し、コロッケ二つをつまみにウィスキー二杯を追加で飲み、酔った様子で眠りについた母。
翌朝にそのことを告げると「えっ、わたしがコロッケを二つも食べたの?!」と大層驚いておりました。

人間の心身って不思議ですな。
まあ、元気になって、よかった、よかった。

それはそうと。
我が家にやっとジムニーちゃんがやって来ました。
1年4か月待って来たジムニーは、ホントに可愛くカッコイイ。

  ジムニー(センターハウス前)縮小


マキオカに映えると確信して購入を決めたジムニー。
かわゆいのう、かわゆいのう。

                   ジムニー(庭)縮小


我ながら、孫を愛でるばあさんのよう。

この間まで乗っていたのは、姉のお古のえんじ色のマーチ。
年式も走行距離もかなり過ぎていて、あちらこちら満身創痍だったけど、事故もなく頑張ってくれました。

ある時、自分の年齢を考え「はっ、今度の車はわたしの最期の車になるのでは?」と氣が付いた。

人生最期の車が人のお古でいいのか?
・・・。
ということで思い切って買うことにしたってワケ。

新月にやって来たジムニーは、ライトも自分で勝手に点けたり消したりするし、ディスプレイでいろいろ出来るみたいなんだけど、なかなか使いこなせていない。

でも、いいの。
時間をかけて仲良くなっていくんだもんね。

母を見ていて教えられたことの一つに「先が見えてきたら、食べたいものは食べたい時に食べ(体重なんか氣にしてはいけない)、やりたいことをやり、欲しいものは可能な限り手に入れるべし」ということがある。

カッコいい老婆になるために、頑張るぞ  

つづく  
タグ :ジムニー


Posted by makioka77 at 19:47Comments(0)マキオカの日々

2023年06月10日

「LGBT法案」即日採決、本当にヤバいって!!

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

いやー、ご無沙汰しております。
二か月近く投稿していなかったわたしが、急遽パソコンの前に座ることにしたのは「このまま指をくわえていては日本が危ない!」という物凄い危機感を感じたから。

6月9日の衆議院内閣委員会で即日採決となり、可決された「LGBT理解増進法案(以下「LGBT法案」)」って、知れば知るほど相当ヤバくないですか?

そもそも年寄りの多い国で横文字を使うなって話。
年寄りには何言っているかわからんだろうがっ!
L=レズビアン
G=ゲイ
B=バイセクシャル
T=トランスジェンダー
こういった人たちを差別するなっていう法案との触れ込みなんだけど、そもそも日本には他の国ほど差別はない。

「差別はないって言ってもあるじゃないか」と仰る方もいらっしゃるかもしれませんが、いや、キリスト教国に比べればないも同然ですよ。
だってイギリスやフランスなんかでは同性愛は死刑になっていたんですよ?

『英国の性犯罪法は1967年にイングランドとウェールズで、21歳以上の男性同士の同性愛行為を合法化した。しかしスコットランドでは1980年、北アイルランドでは1982年になるまで、同性愛は違法だった』

他の国でも終身刑とか鞭打ち刑とかあったし。
日本だと、戦国時代は戦の時にお小姓を連れて行ってそういうお相手にしたとか、男性の恋人にあてた武田信玄の手紙が残っていたりとか、「そんなこと口に出さなくても嗜みだよねー」っていう認識があった。

そもそも日本には憲法14条に【すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない】という文言があるんだから、今敢えて「LGBT法案」とか言い出して、審議もせずに強行採決するなんてアヤシサしかない。
(しかも差別なんて人の心の問題だから、いくら法整備をしても無駄なのでは、とわたしは思う)

そして「差別しちゃいけないんだよ」と言うことだけならまだしも、それだけじゃ終わらないのが曲者なんだよね。
普通の国民は「そうだよね、差別って駄目だからそれを決めているだけだよね」と暢気に構えているけれど、それだけだったら与党が強行採決までするわけがない。

これってメチャクチャ異常事態なんですよ。社会構造が壊れるくらい。

要するに「理解を求める」と言うことは「具体的に動け」と社会全体に圧力がかかるのだから、簡単に言えば「(自分で女だと言い張る人が)女性用トイレに入ってもいい」「女風呂に入っても受け入れろ」っていうことだし、もっといえば男女分けるのも基本ダメってことなんですよ。

共産党、立憲民主党の言ってることはもっとヤバくて「本人が女って言ったら女なんだから、女として扱ってあげてね」ってことを言っている。
この間、入管法改正で国会で何故山本太郎氏や福島瑞穂氏が大騒ぎしていたかと言えば、現在の入管法は何度でも難民申請が出来、その間は日本にずっと居住できる(極端な話、申請だけしていれば一生日本に居住できちゃう)というのを、「3回まで申請してそれで認められなければ日本から出て行ってもらう」という常識で考えても至極当然な変更をすることに、何故か大反対していたんだけど、そのことと今回のLGBT法案を合わせ技で使うと
『むっさい筋肉モリモリの移民の女性と主張する犯罪者のおっさんが「ワタシ、オンナデース」と主張したら、女として居住も認め、社会保障もしてあげる』ということになる。

ぎゃー!!恐怖でしかない!!

ま、難民天国の出来上がりですな。
(・・・・そういえば、河野太郎氏はやたら「人口が減っているから移民受け入れろ」とか言いまくっていたっけ)

日本の歴史や文化、社会構造を根こそぎ変えてしまうこの法案、本当にヤバい。

それで、わたしが一番ゾッとしているのは、そんな社会的混乱が起きるのが目に見えているのに、与野党含め、参政党以外はどこも反対の声をあげないということ。
いつもしょーもないことに、やたら反対反対と声をあげていた連中が、みんな揃って口を閉ざしているのはどういうワケか。

以前から「政治ってマッチポンプ臭いよなー」とか「最近、やたらゲイとかレズの漫画の作品多いよなー」と訝しんでいたんだけど、そういうことだったのね・・・。

日本国民はお人好しだから「そうはならんやろ」「国民の困ることをやるわけないやろ」と思うだろうけど、わたしはそうは思わない。

それにしても、たくさんの税金をもらっている国会の先生方は自分の利益のことばかり考えて、何故自国民のことが考えられないんだろう。
恥ずかしくないのだろうか。
・・あ、そんな感性があったら政治家なんてやっていられないか。

わたしはこのまま劣化していく日本を、黙って見過ごすわけには行かないと思っている。
絶対に。

「お前ごときばーさんに何が出来る!」と言う人もいると思うけど、こんなばーさんでも、いや、ばーさんだからこそ出来ることがあると思うの。

だってこんな状態を孫達に渡すわけにはいかないじゃないですかあ!

はっ、こういう氣持ちを老婆心と言うのだろうか。
老婆の心と書いて老婆心。
言い得て妙すぎる・・。




つづく

  


Posted by makioka77 at 12:54Comments(0)マキオカ徒然

2023年04月12日

23年度マキオカネイチャークラブが始動します!

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。
いやー、ご無沙汰しておりました。ここのところやることが多く、ブログはサボっておりました。

それというのも、あるきっかけがあったから。
今年の初め親族が集まった際、甥が93才になる母にいろいろ質問していました。わたしの実家は人間関係が複雑で、親族の関係性やどんな人生を送って来たかなど、わかっていないことが多い。
父は三回結婚していて(母の先妻、先々妻とは死別)、それぞれが子どもを産んでいる。子どもの頃は誰がどうなっているのか全然わからなかった。
わたしには腹違いの子どもが9人いるのだけれど、父の長男はすでに92才・・・。
もし今話を聞いておかなければわからないことがそのままで終わってしまうのではないか。

「ふんどし息子が出て行って前より時間が出来た今、出来るだけリサーチしておかなければ!」と突如思い立ち、最近音信不通だった異母兄弟達に連絡を取ってみました。
さらに母からも今まで聞き流していた昔の話を根掘り葉掘り聞き、文章にまとめています。

でも、ホント、やってよかった。
今まで思ってもいなかった感謝とか感動が湧き上がって、父に対しての理解も深まったと思います。
いつか皆様にもお目汚し頂ければ幸いです。

それはともかく。

いよいよ連休が近づきマキオカネイチャークラブのオープンが迫って参りました。今年はマキオカの新兵器として常設燻製器とモリノテラスが仲間入りしました。

モリノテラスは危険防止のため使わなくなったスクリーンテントを再利用してネットを張ってもらいました。

                   ヤマノテラス ネット

是非モリノテラスで寝転んでみてください。
爽やかな森の風が吹き抜けます。
瞑想や演奏会などにご利用ください。
ご希望の方には蚊帳のお貸し出しもしておりますので、虫を気にせずお昼寝もお楽しみ頂けます。

こちらは常設燻製器です。
先日試運転をして来ました。

                燻製器 (1)

燻製肉

めっちゃ美味しい!!!
前日に塩を振っておくだけで準備完了。
じっくりと燻されたアツアツの燻製肉は最高です。

モリノテラスと常設燻製器、どちらもご利用の際はお声がけください。

いろいろお手伝いくださったMさん、Hさん、ありがとうございました!!

つづく

  


Posted by makioka77 at 14:34Comments(0)キャンプ場の作り方

2023年02月04日

大嶽山那賀都神社の節分祭で令和五年を占う

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

二月一日、今年も大嶽山那賀都神社で節分祭が賑々しく執り行われました。

去年も書いたけれど、大嶽山那賀都神社の節分祭で占う吉凶の的中率がスゴイ。

特に、令和二年の節分祭での出来事は、未だに語り草になっている。
以下、わたしが令和二年の節分祭の後に書いたブログから抜粋してみよう。

『今年の節分祭は、異例づくしだった。
節分祭を執り行う際、儀式のために積んでおいた細い木が崩れて辺りに散乱してしまう。
また、例年はすぐ火が付き、その後かなりの火力で燃え上がる井桁の細木に、なんとしても火が付かない。
一旦燃えたかに見えても燻ぶってしまい、何度か試すもののどうやっても木に燃え移らず、結局、数人がかりでいつもの倍以上の時間をかけてやっと炎が上がり始めた。
しかもその最中、大事には至らなかったが、火の付いた神前のロウソクが倒れてしまった。
おまけに、儀式の最中、宮司の烏帽子が落ちるアクシデントも』

この後、ご存知の通りコロナ騒動が日本中を揺るがすこととなった。

逆に燃えすぎて、占いの要である炎の上の和紙の幣(へい)が燃えてしまい、関係者が慌てふためくこととなった令和元年は、台風や豪雨により苦難を強いられた。

で、肝心の今年の節分祭の結果。

井桁の細木はあっという間に燃え上がり、参拝者にお配りする穢れを取るための和紙が一部燃えてしまったけれど、炎の上の和紙の幣(へい)は燃えることはなく、節分祭は粛々と無事遂行されました。

令和五年節分祭 (1)


節分祭2


僭越ながら、台風等の自然災害が多少みられるが景氣も順調に回復するのではないか、と秘かにわたしなりに解釈させて頂く。

一方、一年を占うという意味でわたしが毎年注目しているのは、諏訪大社の筒粥神事。
諏訪大社の下社春宮で早朝に釜揚げしたヨシの茎を割り、今年1年の世相と農作物の豊凶を占う神事だ。

過去の有名な筒粥神事の占いとして、2011年に「三分五厘」(最悪の三行半)という結果が出たことが挙げられる。

筒粥神事の粥占いにおいて、三分五厘が何故大凶になるかというと「三下り半を突き付けられた状態」を意味しているから。
江戸時代の「離縁状」は、三行半で書かれていた事が転じて「絶縁」の代名詞のように言われるようになった。
だから三分五厘の結果というのは、神様から愛想つかされた状態を示すという。

2011年の粥占いの結果があまりにも悪かったもので、諏訪大社から「今年は要注意の年である」と言った異例の警告があったのだが、その2か月後、あの 「東日本大震災」が起き、一部で「流石、諏訪の神様のご神事!」と話題になっていた。

そして。
今年の筒粥神事の結果も、なんと「三分五厘」!!
ヾ(◎o◎,,;)ノぁゎゎ

ところで不思議なのは、諏訪大社の粥占いについて報道している記事の『今年は3分5厘で浮き沈みの無い平らな一年という結果になった(テレビ信州)』
『神職は「いつも筒粥神事を行う夜は冷え込むが、今回は珍しく暖かかった。今年は穏やかな1年になるのではないか」と話していた(長野日報)』というマスコミの報道。

はーーーーーーー?!(ꐦ°᷄д°᷅)

何言ってくれちゃってんの??
本気で言っているのか?

ご神事の結果は神様からのメッセージですよ?
何のための神職だよっ!
ちゃんと伝えなさいよ!!!


世間に阿(おもね)ってるんじゃないよ!!!

これじゃ、何も知らない人は「神様は2023年の世相はいいと仰っているんだな」と思ってしまうでしょうよ。

世間を動搖させてはいけない配慮と言うのかも知らんが、そんな配慮はいらん!!
どこかからクレームが入るのを恐れてか神社庁からのお達しか知らんが、神様や民衆をバカにするのもいい加減にしろっ!!!

はっ、いかんいかん。
また血圧が上がってしまった。
(꒪ཫ꒪; )ヤバイ

スーハースーハー。
落ち着け、わたし。
・・・。

それはそうと。

今日、お雛様を出しました。
去年は出せなかったので、心なしか嬉しそう。
エスプレッソカップでお茶をお出ししました

かわゆいのう。

                 令和五年お雛様

冬来りなば春遠からじ。
明日はフキノトウを採りに行こう。

つづく  


Posted by makioka77 at 19:33Comments(0)マキオカ徒然

2023年01月06日

太った!けど、それがどうした!!

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

太った。

ここのところ、間違いなく5キロは太った。
( ̄Д ̄;)=3ハァ..

・・・はっ、いかんいかん!
まずはご挨拶。

あけましておめでとうございます!!
本年もよろしくお願いいたします。

ご挨拶の終わったところで再び。

先日、久し振りにお会いしたある方から「あらー、ちょっと太られた?」と声をかけられた。

ちょっと、どころではない。
見た目で太ったと分かるってことは、間違いなく5キロ近く太ってるってことですよね?

いいの。
物は言いよう。
恰幅のいい年配のおばさんって、悪くないと思うの。

わたしが目指しているのは痩せてケソケソしたおばさんではなく、福々しく美しいおばさん。

そもそも「美」という文字の成り立ちは「大」+「羊」=「美」であるという。
大きな羊は献物としての価値が高く、神に供えられる羊は美しく完全であることを求められたことから、この漢字が生まれ「美しい」という意味を持つようになったらしい。

・・・ってことは、太ったおばさんは美女ってことじゃないですかあ!!
まあ、年寄りの肉は固過ぎて献物としてふさわしくないとは思うけど。

それはともかく。

わたしは2019年にこの文章を書いて以降、体重計に乗っていない。

恐ろしいぞ、ダイエットの呪縛!(1)

わたしだって体重が全く氣にならないワケではない。
が、体重を知りたくなっても絶対に体重計に乗らない。
体重だけではなく血圧も測らない。
もちろん自己責任で、ですよ。

医者もマスコミもこぞって「健康のため、体重、血圧を毎日測りましょう」と言うが、それって本当にそこまで必要か?

人生残り少なくなったのに、たかが500gや1kg増えたくらいで大騒ぎし、生活を自重するなどアホらしい。
しかも血圧ってちょっと心配事が増えると上がってしまうんだから、余計なことは知らない方がいい。
・・・まあ、5kg増はちょっとマズい気がしますが。

もちろん現代医学の全てを否定するつもりはない。
だがこの時代、恐ろしい罠や落とし穴が存在するのも確かだと思うのだ。

わたしのもう少し前の世代、痩せた妙齢の女子はばーさん達から「そんなやせっぽちでは健康で元氣な子どもが産めないよ!」とどやされたものだ。
かつて「栄養のあるものをしっかり食べて丸々太ったいい子どもを産みなさい」と言われていた女達は「もう栄養は足りているのだから、出来るだけ体重を増やしてはいけない」と指導されるようになり「体重を増やさないようコントロールが大切」と言われるようになった。

子どもの頃から「痩せた体型=カッコいい / ぽっちゃり型=カッコ悪い」と洗脳され続けたわたし達は、小さく子どもを産んで、産後も楽に体重を戻せるよう、出来るだけ太らない努力をするようになった。

が、ここに来てとんでもない事実が分かって来た。

日本では10人に1人が“未熟児”!? 「偏った妊婦ダイエット」が及ぼす胎児への悪影響

こんな報告もある。
『小さく生まれた人はそうでない人に比べ、生活習慣病になるリスクが高いというのだ。
日本は先進国の中では、小さく生まれる赤ちゃんの割合が突出して高い。
その背景にあるのが、若い女性の「やせ」だ。
20代女性で医学的な意味でのやせ(低体重)に該当しているのは約2割。この割合も先進国の中では最も高い』

要は、女性の「やせ」は次世代の健康に大きな影響を及ぼし、今のままでは国の将来さえも危うい、ということらしい。

たかがダイエット。
されど国の宝である我が国の子ども達を蝕む亡国の行いであると考えると、空恐ろしい。

日本には「地上の国の人たちを毎日1000人殺します」と叫んだ女神イザナミに対し、男神イザナギが「それでは、私は毎日1500人の子どもを誕生させよう」と答えたとの神話がある。

健やかに産まれ育った子ども達が、愛する日本の地に満ちることを願わずにはいられない。

つづく  


Posted by makioka77 at 22:03Comments(0)マキオカ徒然

2022年12月24日

子育て終えたら「人生全肯定ばばあ」になっていた!

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

本当にご無沙汰しておりましたが、皆様いかがお過ごしでしょうか。
今、見返したら前回は10月17日投稿だったんですね。
あれ以来何をしていたか、つらつら思い返してみると、それなりに忙しくしておりました。

まず大きな出来事としては、我が家のトイレと一階の床、ベランダのリフォームをしたこと。

ある日、風呂場の蛇口を閉めたにもかかわらず水が出っ放しになってしまうという出来事がありました。
「くらしのマーケット」でよさそうな業者さんに連絡をすると、ありがたいことにその日のうちに来てくれた、まではよかったんだけど。

見てもらうと、我が家の風呂の蛇口は普通ならある筈の止水栓がなく、タイルを剥がしコンクリートを壊して工事をしなければならないことが判明。
当然、費用もかなり大きくなる。
どうせなら思い切ってユニットバスにしてしまおうかと思ったら、間取りの関係から特注になってしまうという。

がーーーん。

築50年近い我が家は、いわゆる古民家。
古民家っていえば聞こえはいいけど、要はそれなりのボロ屋ってこと。

実は、3年前に自分で家の塗装をしたりお風呂の修繕をしたはいいけれど、それ以外にもいろいろな不具合が出ていた。

家の塗装、自分でやることになりました(1)

床はあちこちブカブカになっていて、ケチなわたしはお金をかけずに何とか誤魔化そうと、湿氣を取るために段ボールを敷き、娘が捨てる予定だったコルクマットを貰い受け、その上に重ねていた。
が、最近それも限界となり、下手をすると床が踏み抜けてしまうのではないかという恐れも出てきていた。

トイレも、貯水タンクの後ろがいつも水が滴り落ちてくるので受け皿を置いて「結露ってこんなにスゴイのね」と思っていたら、実は水漏れをしていたのが明らかに。

ベランダも、劣化して危険になった板の上にベニヤを載せペンキを塗って誤魔化していたんだけど、それも風雨にさらされて穴が開いてしまい、危険なゾーンと化していた。

・・・わかっていましたとも。
現代的で快適な生活を送るには限界が来ていることは。
お金を出し惜しむわたしは、セコイ延命措置を施しつつ、その日その日をなんとかやり過ごしていただけですとも。

でも、もう流石に限界。

えーい!
この際だから、今まで氣になっていたところを全て直しちゃるわいっ!!

ヤケクソになったわたしは、知り合いの業者さんにすべてお願いすることにしたのでした。

リフォームが終わり、思い切ってリビングの家具も買い替え、ルンバとブラーバも導入。
息子が一人暮らしを始めたこともあって(これが大きい)家はいつもスッキリ片付いている。

もうね。
とーーーっても快適

皆さんが「寂しいでしょう?」「心細いのでは?」などと心配してくださるが、そんなことは全くない。
洗濯物は少ないし、台所の後片付けも簡単だし、ゴミも少ない。

夜、ソファに寝転び、ウィスキー片手に冷蔵庫の残り物をつまみつつ好きなテレビを眺めていると「はー、シアワセ」というセリフが自然に口をついて出る。

朝、ベッドで目が覚めゆったりとコーヒーを飲みながら好きな音楽を聴いていると「ホント、ありがたい」という氣持ちがじわーっと湧き上がってくる。

いいじゃないか、息子に嫁が来なくたって。
息子も娘も「一生を捧げたい」という好きな仕事を見つけているだけで御の字じゃないか?

いいじゃないか、貯金がそんなになくたって。
お金があり過ぎてお金に振り回されている身内、知人がたくさんいる。
誰にも忖度することなく、ささやかでもなんとかマキオカでお金が稼げるかもしれないなんて、最高じゃないか?

これが老境というものであろうか。
ふんどし息子の自立によって、ヤツとのいがみ合い、罵り合いを卒業出来て、すっかり「人生全肯定ばばあ」になったわたし。

皆さん、年を取るってそんなに悪くないですよ。

あ、そうそう。
ふんどし息子はわたしのブログを読まないから正直に書いたけど、ヤツには内緒にしておかないとね、僻むから。

それでは皆様、よいお年をお迎えください。

つづく  


Posted by makioka77 at 14:55Comments(0)マキオカの日々

2022年10月17日

ツリーハウスが完成した!

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

ご無沙汰しておりますが、皆様いかがお過ごしでしょうか。

ふんどし息子が一人暮らしを始めるタイミングで、お風呂の蛇口が壊れ(埋め込み式の古い蛇口のためタイルとコンクリートを壊さなきゃ直せないんだとか)、以前から踏み抜きそうにブカブカだったトイレと洗面所の床も直さざるを得なくなり、ついでにトイレの水漏れが発見され(結露かと思って水受けの容器を下に置いていたんだけど水漏れだったのね)、同じくブカブカのリビングの床も、穴の開いていたベランダも直すことになり、挙句は老朽化による漏水まで起こしてしまった我が家。

こんなもんですよね、人生って。

弱り目に祟り目。
今まで何とか耐えていたものが一挙に噴出する。
まあ、人生のデトックスと思い、粛々と受け止めるしかないんですけど(涙)

それはともかく。

なんと、マキオカネイチャークラブに、念願だったツリーハウスが出来ました!

かれこれ20年近く「いつかツリーハウスを作りたい」と言い続けてきましたが、あれやこれややることがいっぱいで、マキオカネイチャークラブを存続させて行くだけで精一杯。
とてもじゃないけど手が回らない状態だった。

でも、最近ふと氣がついたの。

年を重ね、あちらの世界の存在がぐっと近づいて来たように感じられる今日この頃。
こんな風に出来ない言い訳ばかりしていたらツリーハウスが完成する前にこの仕事を辞めることになってしまってもおかしくない。

それは大変とばかりに、近場にお住いで、低予算でいい物を作ってくださる方がいないか、あちこちにお声がけをさせて頂いた。

すると、なんとそんな虫のいい条件を具現化したような方がいらした。
念ずれば通ず。

サラリーマンを定年退職されてから技術を習得し、ご自宅の古民家を高級旅館のようにリノベーション出来るくらいになったというKさん。
器用でセンスがよくて知識も豊富なKさんは、身内の方の家の改築も手掛け、電氣、水道の工事までされるんだとか。

そんな方がマキオカのすぐ近くの集落にいらしたとは。
ありがたし!!

9月18日にお願いして、完成のご連絡を頂いたのが10月12日。

いやー、早い!
サラリーマン時代、たくさんの部下をお持ちだったという噂も頷ける。
仕事の出来る人はスピード感が半端ない!!

そして一昨日、実物を見ることが出来ました。

East-Siteの前面に立派な階段が出来ている。
その先には、なんと、森の中にひっそりと佇む能舞台と見紛うツリーハウスが。

ツリーハウス1 (1)


うおー、す、すごいっ!!

階段を下りていくと、ツリーハウスに上る階段が2段作られている。
実はここは段差があって、前の方に行くとかなりの高さがある。
上ってみると、6本のヒノキを利用してかなり広々としたテラスになっていて、とても氣持ちがいい。

ツリーハウス2


Kさんにツリーハウスのイメージを説明させて頂いた際「四隅を木でつなげてテラスのようなものを作って欲しいんです。そこで蚊帳を吊ってお昼寝が出来たら楽しいと思って」とお伝えした。

YouTubeでツリーハウスを調べると、立派なものがたくさんあって、普通の小屋を木の上に乗せた感じのものが多いけれど、わたしはシンプルなテラス風ツリーハウスがいいと思ったの。
シーズン中はゴザを敷き、蚊帳を吊って寝そべったりターザンごっこをしたりして遊び、オフシーズンはスッキリ片付けることが出来る。
フレキシブルに活用でき、維持管理がし易い、そんなツリーハウス。

でもこれって、わたしが想像した遥か上を行く出来になっているじゃないですかあ!!

出来立てのツリーハウスにごろりと横になってみる。

ツリーハウス3


木々の合間から青空が見える。

風が木々を揺らす音。
鳥のさえずり。
沢のせせらぎ。

なんて幸せなんだろう。

ツリーハウスの実際の運用は来春からになるし、安全面などいろいろ考えなければならないことがあるけれど。

わたしの仕事は、ご縁のあるお客様が「うれしい・楽しい・面白い氣持ち」になるお手伝いをさせて頂くこと。
このツリーハウスはそのツールの一つになることを確信する。

夢って、叶う時は唐突にやってくる。
Kさんにお願いしたのは自分なんだけど、そんな氣持ちが自然と湧き上がってきた。

この地にご縁をくださったすべてに感謝したい。
そして願わくは、一人でも多くの方がこの地で幸せな氣持ちになってくださいますように。


つづく
  


Posted by makioka77 at 15:37Comments(0)キャンプ場の作り方

2022年09月05日

ふんどし息子が一人暮らしを始めることになりました。

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

朝晩やっと涼しくなってきた今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか。

我が家は大激変。
今月ふんどし息子がうちを出ていくことになりました。

これまでいろいろな人から母子ともに散々「マザコン」だの「子離れ出来ていない」だの「相互依存」だの、言いたいように言われましたが、いやー、物事って機が熟した時に、なるようになるものですな。

きっかけはいつものごとくの親子喧嘩。
それも「どっちが先にお風呂に入るか」というホントに下らないことが原因。

あー、人生の分かれ道に際して、こんなしょうもないことがきっかけなんて我ながら情けない。
・・・ま、我が家らしいといえば言えないこともない。

とはいえ、ヒートアップした喧嘩の際の売り言葉に買い言葉、以前からふんどし息子の罵詈雑言に腹を据えかねていたわたしの口から出た言葉は「もういい!耐えられない!!出てって!!!」だった。

腹立ちまぎれに出た言葉ではあったけれど、頭の片隅で何かがチカッと光った氣がした。
「あ、今なんだ」。

この機会を逃すまじと翌朝6時からせっせとネットを漁り、格安で環境もよく自宅からも仕事場からもそれほど離れていないアパートを発見。
寝ているふんどし息子を叩き起こし、物件情報を見せた。

「出ていけ、といってもどうせ喧嘩上の言葉だけ」と高をくくっていたらしいふんどし息子は、わたしの本氣度を感じ、あっけにとられている様子。

ふっふっふ、母の本氣を舐めるなよっ!

不動産屋さんに電話をし、翌日には内見に行く。
築60年の公団団地は、周辺に緑が多く、古いけれどむしろレトロでいい感じ。
そんなこんなで急転直下、急遽9月中に契約、引っ越しの運びとなったのだった。

皆さんに言われるまでもなく、ふんどし息子の独立の必要性は前から感じていた。
とはいえ、やっとのことで細腕、もとい太腕一つで二つの大学を出せたと思ったら、自営業を始めたふんどし息子。
ふんどし息子が一人前になるまでは、と生活費を折半しつつ、肩寄せ合って暮らすしか方法はなかった。

でも、ここのところ駅前にも出店し、治療代を値上げしたにもかかわらず続けて来院してくださるお客様がほとんどで、なんとか治療院も軌道に乗って来ているらしい。

そんな時に出たあのセリフ。
これが神の采配と言わずして何を言おうか。
(いや、ただのヤケクソの喧嘩別れじゃん、の声あり)

ふんどし息子は「オレだって前から独立したいと思っていたから出ていくのはもちろんいいよ。でもあんな喧嘩の流れで追い出すことはないだろう」とのたまう。

が、息子よ。
人生ってそういうものではない。
圧倒的に勢いとタイミングが大事なのだ。

そして仲良く話し合って「じゃ、出て行ったら?」「うん、そうするよ」なんていうのはオトコの旅立ちにはふさわしくない(と思う)
激しくやり合って、家出するように飛び出したり、憤怒の叫びを上げながら歯をくいしばって歩みだすのがイイと思うのだ。

ふんどし息子よ、怯むことなく人生の荒波を乗り越えてくれたまえ。
出来たら荒波を楽しみながら。

それはともかく。

長女が生まれてから38年、これで本当に子育て終了となる。
わたしにとっても初めての一人暮らしだ。

ふんどし息子が去ったあとは、いろいろな空間や時間に隙間ができ、時と共にそこが何かで埋まっていくのだろう。
今はそれが楽しみだ。

つづく  


Posted by makioka77 at 15:21Comments(0)マキオカの家族

2022年08月29日

神の寿ぐ地、マキオカ

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

マキオカネイチャークラブの夏が終わりました。
9月から1組のみ2区画貸し切りの平常モードに戻ります。

いやー、今年の夏も大変だった。
ペンキ塗り、草むしりなどのメンテナンスは恒例の作業ですが、特筆すべき大きな出来事としては、ハイジのブランコの付け替えですな。

このブランコを作ってくれたのは、お金持ちのいとこ、虎男(仮名)。

キャンプ場の作り方(10)

今は亡き虎男は、裸一貫から一代で億単位の事業を起こした凄腕のオトコ。
数々の武勇伝を残している。

虎男レクイエム

今回、虎男の息子の虎太(仮名)にブランコの取り換えをお願いした。
老婆の必死の懇願ゆえか、危険も厭わず引き受けてくれた。

ブランコのロープが巻き付けられている楢の木はかなりの高さがある。
実際に下で見ているとお腹がワキワキするくらいだ。

その枝に脚立をかけ、細心の注意を払いながらロープを付け替える。

                     ブランコ写真(1)

あらかじめ用意しておいた2か所穴の開けた栗の木の板を、ロープの先に結び付け高さを調整する。

ブランコ写真(3)

               ブランコ写真(2)

無事付け替えが終わった時はホッと安堵しつつ、亡き虎男に思いを馳せた。

虎男はわたしの「キャンプ場を作りたい!」という無謀とも言えるトンデモな願いのために、ボランティアで自ら重機を操り、山を整地してくれた。

ある日、作業が一段落したあと、何故か虎男は周囲の木々を見て回っていた。
そして件の楢の木を見つけると、するすると木に登り器用にロープをくくりつけ、サプライズでブランコを作ってくれたのだった。

今、このブランコは「ハイジのブランコ」として、子どものみならず大人にも大人氣で、多くのお客様に喜んで頂いている。
本当にありがたい。

それはそうと。

今年は、サイトの下の森にツリーハウスを作るべく、動き出した。
予算が限られているからそんなに立派なものは作れないと思うけれど、なんとか皆さんに喜んで頂けるものにしたいと熊男(仮名)の長男、熊四郎(仮名)に相談しているところ。

乞うご期待!!

それはともかく。

先日いらしたお客様とお話をさせて頂いた際、マキオカネイチャークラブをどのように知ったかという話題になった。
お客様は「夫と同じ職場の方が『お子さんが小さいうちに一度はマキオカネイチャークラブに行った方がいいよ。そして是非ドラム缶風呂に入ってみて。すっごくよかったから!』と、ここを教えてくれたんです」と教えて下さった。

また、年長さんと小学2年生のお孫さんを連れてこられた年配のご夫婦は「娘がまだこの孫達くらいだった頃に来ました。今から28年前くらいだったと思うけど、とても楽しかったのでまた来てみました」と懐かしそうに目を細められた。

夫が亡くなりもうすぐ二十三回忌を迎えるけれど、一緒にマキオカネイチャークラブを作った夫を始め、多くの人たちに支えられ助けられ、ここまでやって来ることが出来た。

わたしはマキオカを「神の寿ぐ地」と信じて疑わない。

あとどのくらい続けることが出来るのか、神のみぞ知る。
とはいえ、力の続く限り、このマキオカの地をご縁ある方々の笑顔と幸せな氣持ちでいっぱいにしたいと心から願うわたしなのでした。

つづく
  


Posted by makioka77 at 18:21Comments(0)キャンプ場の作り方

2022年08月23日

キセキのリンゴの終わりの物語

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

一昨日、やっとマキオカから帰ってきました。
マキオカはトンボが飛び交い、すっかり秋の氣配。

帰って来るなりふんどし息子と喧嘩をし、夕べはプンスカしながら自室に籠って寝てしまったけれど。
考えてみれば、喧嘩する相手がいるありがたさよ。

独りぼっちで黙々とマキオカで作業をしていると、唯一の楽しみといえば仕事の合間に入る近くの温泉であり、何よりの心の支えはお客様の楽しそうな歓声や嬉しそうなお顔。

そんな中、あるお客様から質問を頂いた。
「あのー、ブログに書かれていたキセキのリンゴはどこにあるんですか?」

えっ、昔書いたわたしの駄文をお読みくださり、心に留めて下さっているとは。
あ、ありがたしっ!!

キセキのリンゴの物語

今年も「キセキのリンゴ」が実りました。

・・・でも、申し訳ありません、
あのキセキのリンゴ、残念ながら今年の7月、伐り倒してしまったの。

実は去年の春、このリンゴの木の真下でお客様が焚火をされて以来かなり弱ってしまい、葉が落ちて新芽を出さなくなってしまった。

もっとしっかり皆さんに焚火をする際の注意をお伝えしておくべきだった。

今から30年ほど前、今は亡き夫と休みの度に鎌倉からマキオカに向かい、トラックを借りては砂利をサイトに運んだ。
それが百杯近くになった頃、リンゴ畑を持っていた近所の農家のSさんが「リンゴの木を処分するから欲しかったら持っていったらどうでえ。」とお声掛けをして下さったのだった。

大喜びで3本のリンゴの木を戴いたが、やることが盛りだくさんの日々に、せっかく戴いたのに手を掛けることも肥料をやることもせず、いつしか2本のリンゴの木は枯れてしまった。

一番過酷な環境の砂利のサイトに植えられたリンゴの木は唯一生き残り、それでも四月になると花を咲かせ、毎年実を付けてお客様の目を楽しませてくれた。

リンゴの木は厄介な病害虫が多く、家庭では栽培しにくい果樹といわれているらしい。
無農薬、無施肥どころか、砂利に植えられて放置された挙句、真下にカマドを作られ、すぐ近くでしょっちゅう焚火をされるという超過酷な状況で、20個近くの実を付けてくれたキセキのリンゴ。

若い頃はやり過ごせた焚火も、年を取り弱ったリンゴには思った以上にダメージが強かったのだろう。
・・・身につまされますなあ。

あー、わたしのバカバカっ!!
後悔先に立たず。

失って改めて知る大きな存在感よ。
そう、それはまるでガミガミ文句を言うけれど常に身を案じてくれる親を失ってしまった時のような、と申しましょうか(よく聞くがいい、ふんどし息子よ!)

なんとか新芽が出ないものかと、そのまま秋、春と季節を過ごしたが、やはりダメだった。
仕方なくこの夏、思い切ってこのリンゴをくださったSさんの息子さんご夫妻にお願いして、伐ってもらうことにしたのだった。

                 キセキのリンゴの終わり

今、キセキのリンゴの幹や枝はトレーラーハウスの裏に置かれている。
あちらこちら苔で覆われ虫に食われ、リンゴの暮らした過酷だった年月を物語っているかのようだ。
やはり力尽きていたらしく、幹は力を入れて押しただけで、刃物もいらず倒れてしまった。

今年の秋、仲間が集まった時、この幹や枝で焚火をして、感謝をこめてキセキのリンゴのお別れ会をしたいと思う。

今まで本当にありがとう。
そして、さようなら!


つづく



  


Posted by makioka77 at 18:46Comments(0)キャンプ場の作り方