2025年02月27日
おばさん一人旅のススメ(対馬・壱岐編)(2)
こんにちは。今日も楽しいマキオカです。
プロペラ機で対馬やまねこ空港に15時前に到着したわたし。
いよいよ人生初の一人旅が始まった。
参加者は総勢約30名。
3分の2はおひとり様で、女性は50代から70代前半、男性は60代後半から80代前半と、シニアといえば聞こえはいいが元気なジジババの集まりだ。
添乗員さんはちょっと頼りなさそうな中年の男性。
旗を振りながら皆をバスに乗せるが、トランジットの福岡で1名降りてしまうというハプニングがあったせいか、ちょっと落ち込んでいる様子。
大丈夫か?
景色の良い陸橋に立ち寄る。
島並と海の靑さのコントラストが美しい。
確かに景色はいいが、添乗員さんからはこれといった説明がないので、ちょっと残念。
でも今心中それどころじゃないよね?

バスは一路対馬の一番大きな街である厳原のホテル東横インに向かう。
カードを受け取り部屋に入ってみる。
狭いが、ひとり部屋というのは存外気楽でいい。
ここには二泊する予定だ。
同じホテルに二泊するのは、荷物を置いたまま観光ができるし落ち着くので割と好き。
荷物を置き、少し周辺を回ってみる。
目の前にショッピングセンターがあり、モスバーガーや土産物屋が入っている。
自分の行動を振り返ると、蟻が巣穴の周りをぐるぐると探索する様子が思い出されて、我ながら何か可笑しい。
気がつくとあっという間に夕食の集合時間だ。
今日の夕食はツアーに組み込まれていて、添乗員さんの案内で食事処の2階に通される。
郷土料理の会席という触れ込みだが、よくある定番のお食事がテーブルに並べられていて「ツアーの食事なんて、まあ、こんなものか」という感じ。

食事が終わり階段を降りると、お好み焼きのいい匂いがしていて、お客様が舌鼓を打っている。
「あー、会席料理よりお好み焼きの方がよかったなー」などとちょっぴり羨ましげな視線を送るわたし。
帰りはそれぞれ三々五々ホテルに向かう。
明日の夕食は各自とることになっていて、わたしはYouTubeで見つけた居酒屋に行こうと決めているので、下見を兼ねて厳原の街をぶらついてみる。
ここ対馬は九州と韓国の間の対馬海峡に浮かぶ長崎県に属する島だ。
博多港から約130km、韓国の釜山からは約49.5kmに位置し、「国境の島」とも呼ばれているんだそう。
そういえば看板は英語よりもハングルが多い気がする。
実はこの旅行に来る前、予習として元寇における対馬の戦いを描いた『アンゴルモア 元寇合戦記』を読み、あまりの凄まじさに胸が痛くなった。
さらに元寇の約250年も前に「刀伊の入寇」という事件があったことも初めて知った。
「刀伊」とは、高麗(当時の朝鮮)の人々が、賊を「東の夷狄(野蛮人)」という意味で「東夷」と呼んでいたのを日本の文字にあてたものと言われている。
「刀伊」と呼ばれた賊の正体は、中国東北部に住む女真族の海賊集団だったが、それが判明したのは賊が去った後のこと。
残忍な侵略行為を行う正体不明の軍団に、対馬、壱岐、北部九州沿岸の人々は怯え、九州本土で賊を迎え撃った藤原隆家らも苦戦を強いられた。
突如、賊船の襲撃を受けた対馬では、殺されたり、連れ去られた者が382人。
上陸した賊は、手当たり次第に人を捕らえると老人や子供は惨殺し、壮年の男女は船に連れ込み、穀物を奪い、牛馬や犬を殺して食べて、民家を焼き払った。
賊船は1隻の長さが15メートル前後。櫂が30〜40ほどついていて非常に速く、1隻に50〜60名ほどが乗り込み、総勢3,000人ほどの大集団だったとみられている。
100人ほどで一隊を組み、前の20〜30人は刀を振りかざして斬り込み、後ろの70〜80人が弓を持って進軍してきたという。
矢は30〜50センチほどで、楯をも射通すほどの貫通力があったらしい。
頬を海風が撫でる。
この穏やかな街にそんな凄まじい歴史があったとはまったく想像できない。
ホテルにそそくさと戻り、ひとり対馬の地酒白嶽を呑む。
現代を生きるわたし達の痛みや苦しさなんて吹けば飛ぶようなものではないか、と思ってしまうほどの重い出来事だ。
こんな夜は呑まないでいられようか。
どこからか、声がする。
・・・何ひとりで浸ってんの?
は?ただの呑兵衛のイイワケですけど、何か?
つづく
プロペラ機で対馬やまねこ空港に15時前に到着したわたし。
いよいよ人生初の一人旅が始まった。
参加者は総勢約30名。
3分の2はおひとり様で、女性は50代から70代前半、男性は60代後半から80代前半と、シニアといえば聞こえはいいが元気なジジババの集まりだ。
添乗員さんはちょっと頼りなさそうな中年の男性。
旗を振りながら皆をバスに乗せるが、トランジットの福岡で1名降りてしまうというハプニングがあったせいか、ちょっと落ち込んでいる様子。
大丈夫か?
景色の良い陸橋に立ち寄る。
島並と海の靑さのコントラストが美しい。
確かに景色はいいが、添乗員さんからはこれといった説明がないので、ちょっと残念。
でも今心中それどころじゃないよね?

バスは一路対馬の一番大きな街である厳原のホテル東横インに向かう。
カードを受け取り部屋に入ってみる。
狭いが、ひとり部屋というのは存外気楽でいい。
ここには二泊する予定だ。
同じホテルに二泊するのは、荷物を置いたまま観光ができるし落ち着くので割と好き。
荷物を置き、少し周辺を回ってみる。
目の前にショッピングセンターがあり、モスバーガーや土産物屋が入っている。
自分の行動を振り返ると、蟻が巣穴の周りをぐるぐると探索する様子が思い出されて、我ながら何か可笑しい。
気がつくとあっという間に夕食の集合時間だ。
今日の夕食はツアーに組み込まれていて、添乗員さんの案内で食事処の2階に通される。
郷土料理の会席という触れ込みだが、よくある定番のお食事がテーブルに並べられていて「ツアーの食事なんて、まあ、こんなものか」という感じ。

食事が終わり階段を降りると、お好み焼きのいい匂いがしていて、お客様が舌鼓を打っている。
「あー、会席料理よりお好み焼きの方がよかったなー」などとちょっぴり羨ましげな視線を送るわたし。
帰りはそれぞれ三々五々ホテルに向かう。
明日の夕食は各自とることになっていて、わたしはYouTubeで見つけた居酒屋に行こうと決めているので、下見を兼ねて厳原の街をぶらついてみる。
ここ対馬は九州と韓国の間の対馬海峡に浮かぶ長崎県に属する島だ。
博多港から約130km、韓国の釜山からは約49.5kmに位置し、「国境の島」とも呼ばれているんだそう。
そういえば看板は英語よりもハングルが多い気がする。
実はこの旅行に来る前、予習として元寇における対馬の戦いを描いた『アンゴルモア 元寇合戦記』を読み、あまりの凄まじさに胸が痛くなった。
さらに元寇の約250年も前に「刀伊の入寇」という事件があったことも初めて知った。
「刀伊」とは、高麗(当時の朝鮮)の人々が、賊を「東の夷狄(野蛮人)」という意味で「東夷」と呼んでいたのを日本の文字にあてたものと言われている。
「刀伊」と呼ばれた賊の正体は、中国東北部に住む女真族の海賊集団だったが、それが判明したのは賊が去った後のこと。
残忍な侵略行為を行う正体不明の軍団に、対馬、壱岐、北部九州沿岸の人々は怯え、九州本土で賊を迎え撃った藤原隆家らも苦戦を強いられた。
突如、賊船の襲撃を受けた対馬では、殺されたり、連れ去られた者が382人。
上陸した賊は、手当たり次第に人を捕らえると老人や子供は惨殺し、壮年の男女は船に連れ込み、穀物を奪い、牛馬や犬を殺して食べて、民家を焼き払った。
賊船は1隻の長さが15メートル前後。櫂が30〜40ほどついていて非常に速く、1隻に50〜60名ほどが乗り込み、総勢3,000人ほどの大集団だったとみられている。
100人ほどで一隊を組み、前の20〜30人は刀を振りかざして斬り込み、後ろの70〜80人が弓を持って進軍してきたという。
矢は30〜50センチほどで、楯をも射通すほどの貫通力があったらしい。
頬を海風が撫でる。
この穏やかな街にそんな凄まじい歴史があったとはまったく想像できない。
ホテルにそそくさと戻り、ひとり対馬の地酒白嶽を呑む。
現代を生きるわたし達の痛みや苦しさなんて吹けば飛ぶようなものではないか、と思ってしまうほどの重い出来事だ。
こんな夜は呑まないでいられようか。
どこからか、声がする。
・・・何ひとりで浸ってんの?
は?ただの呑兵衛のイイワケですけど、何か?
つづく
2025年02月26日
おばさん一人旅のススメ(対馬・壱岐編)
こんにちは。今日も楽しいマキオカです。
去年暮れから今年にかけて、怒涛の旅行ブームが続いている。
このブログは備忘録も兼ねているので、これから寄る年波と戦わねばならぬ身としてはしっかり書き留めておかねばと思った次第。
去年、わたしの人生観をひっくり返す出来事があり「そうだ、一人で旅をしよう!」と決意した瞬間があった。
とにかくこれから自分の足で立ち続けなければならないと覚悟したのだと思う。
すぐ頭に浮かんだのは対馬だった。
・・そういえば山梨の友人が「対馬はお刺身がとんでもなく美味しいらしい」って言ってたっけ。
食いしん坊のわたしの脳が即座に反応したので、早速調べてみる。
元来ケチなわたしは「お手頃の値段」であり「面倒な手続き等は添乗員さんが全てしてくれて時間に余裕があり」しかも「一人旅でもあんまりお高くならないツアー」を念頭に検索する。
お、これなんかいいのでは?
クラブツーリズム「対馬・壱岐ツアー」
なんと一人でも二人でも同額!
ホテル一人一部屋、バスも一人で二人座席使える。
しかも国からちょっぴりだけど補助金も出ている!
よし、これにしよう。
早速申し込み、にんまりとほくそ笑む。
大してお金を持っているわけではないけれど、雀の涙のような老後の資金だって死んで持って行けるわけでもないし、体が動くうちに行きたいところに行くことにお金を使うべきだと思う。
80才過ぎたら一人旅は厳しい。
いや、旅自体が難しくなる。
これは去年93才で亡くなった母が教えてくれたこと。
子どもの頃は親兄弟と、学生の頃は友人と、家庭を持ってからは家族とたくさんの旅をしてきたが、一人旅はしたことはなかった。
だから今回がわたしにとって人生初の一人旅。
めっちゃ楽しみ!
お蔭でいろいろあったイヤなことも吹っ飛んだ。
年内のマキオカの仕事を終わらせオフシーズンに突入した12月5日、母の残したえんじ色の小ぶりのスーツケースをガラガラと引きずりながら一人羽田に到着。
キョロキョロドキドキしつつクラブツーリズムのカウンターを何とか見つけ、手続きをする。
今時の旅はチケットなんかない。
スマホだけが頼りだ。
11時半の福岡行きの飛行機に乗り、トランジットで対馬に向かう。
プロペラ機で対馬やまねこ空港に14時50分に到着。

いよいよ人生初の一人旅が始まった。
※「一人旅だからって、そんなにキョロキョロドキドキ緊張するなんて。これだからおばさんは!」とせせら笑ったあなた。
年配の人を舐めちゃイケマセン。
このトランジットで何故か福岡で降りてしまった人だっているんですぞ!(後から別便で追いかけて来られました。よかった、よかった)
つづく
去年暮れから今年にかけて、怒涛の旅行ブームが続いている。
このブログは備忘録も兼ねているので、これから寄る年波と戦わねばならぬ身としてはしっかり書き留めておかねばと思った次第。
去年、わたしの人生観をひっくり返す出来事があり「そうだ、一人で旅をしよう!」と決意した瞬間があった。
とにかくこれから自分の足で立ち続けなければならないと覚悟したのだと思う。
すぐ頭に浮かんだのは対馬だった。
・・そういえば山梨の友人が「対馬はお刺身がとんでもなく美味しいらしい」って言ってたっけ。
食いしん坊のわたしの脳が即座に反応したので、早速調べてみる。
元来ケチなわたしは「お手頃の値段」であり「面倒な手続き等は添乗員さんが全てしてくれて時間に余裕があり」しかも「一人旅でもあんまりお高くならないツアー」を念頭に検索する。
お、これなんかいいのでは?
クラブツーリズム「対馬・壱岐ツアー」
なんと一人でも二人でも同額!
ホテル一人一部屋、バスも一人で二人座席使える。
しかも国からちょっぴりだけど補助金も出ている!
よし、これにしよう。
早速申し込み、にんまりとほくそ笑む。
大してお金を持っているわけではないけれど、雀の涙のような老後の資金だって死んで持って行けるわけでもないし、体が動くうちに行きたいところに行くことにお金を使うべきだと思う。
80才過ぎたら一人旅は厳しい。
いや、旅自体が難しくなる。
これは去年93才で亡くなった母が教えてくれたこと。
子どもの頃は親兄弟と、学生の頃は友人と、家庭を持ってからは家族とたくさんの旅をしてきたが、一人旅はしたことはなかった。
だから今回がわたしにとって人生初の一人旅。
めっちゃ楽しみ!
お蔭でいろいろあったイヤなことも吹っ飛んだ。
年内のマキオカの仕事を終わらせオフシーズンに突入した12月5日、母の残したえんじ色の小ぶりのスーツケースをガラガラと引きずりながら一人羽田に到着。
キョロキョロドキドキしつつクラブツーリズムのカウンターを何とか見つけ、手続きをする。
今時の旅はチケットなんかない。
スマホだけが頼りだ。
11時半の福岡行きの飛行機に乗り、トランジットで対馬に向かう。
プロペラ機で対馬やまねこ空港に14時50分に到着。

いよいよ人生初の一人旅が始まった。
※「一人旅だからって、そんなにキョロキョロドキドキ緊張するなんて。これだからおばさんは!」とせせら笑ったあなた。
年配の人を舐めちゃイケマセン。
このトランジットで何故か福岡で降りてしまった人だっているんですぞ!(後から別便で追いかけて来られました。よかった、よかった)
つづく
2025年02月09日
大嶽山那賀都神社の節分祭で令和七年を占う
こんにちは。今日も楽しいマキオカです。
ご無沙汰しております。
去年からいろいろあって、すっかりブログから遠ざかっていました。
が。
「大嶽山那賀都神社の節分祭の記事だけは上げなければっ」という謎の使命感に突き動かされてこの記事を書いています。
何故かといえば大嶽山那賀都神社の節分祭は、その年を占う知る人ぞ知るスゴイお祭りだから。
だから一年が過ぎて節分祭の記事を読み直し答え合わせをする時はとっても真剣になる。
わたしが一番実感したのはコロナ禍の時。
異例づくしだったあの年の節分祭は後々語り草になる程だった。
だからそのことをよく知っている崇敬会の面々は「今年はどんな結果になるのか」と固唾を飲んで見守る。
…で、去年はどうだったかというと。
去年書いた記事をあげておこう。
『無事に節分祭、直会、片づけを終え、最後に崇敬会の面々が挨拶を交わし終わった直後、異変が起こった。
地震だ。
下から突き上げるような、地下に空洞があってそこから棒で突かれたような、不思議な感覚だった。
皆顔を見合わせ、地震情報を確認する。
どうやら震度3の地震があったらしい』
『これから書くのは、わたしの直感による個人的な感想だけど(言っておくけど、ホントにあくまでも個人的な感想ですからね!)粛々と進んだ令和6年は、安心しかけた年末辺り、注意が必要なのではなかろうか』
去年は元旦に能登で地震があったけれど、節分祭が催されたのはその後。
それ以降、特に何があったかなあ?
物価がやたら上がったとか?
11月にトランプが大統領になったりと、世界は劇的に変わっている。
まあ、あながち間違ってはいないかな?
それはともかく。
今年の節分祭はどうだったかというと。
今年の節分祭の神道護摩は、火力が強く近くで見ているとちょっと、いや、かなりドキドキした。
「だ、大丈夫なのか?弊、燃えちゃわないのか?」
結果として弊は少し焦げたけど、無事節分祭は終わった。

僭越ながら今年もわたしの個人的な感想を書いておこうと思う。
火力の強さがいつになく激しく、わたしがドキドキしたように、それなりの荒波はあって皆んなを心配させながらも結果としてなんとか危機を乗り越えるのではなかろうか?
そうだといいな。
今、スピに興味のある人のほとんどが知っている7月5日問題。
実は6月5日という話もあるけれど、昨今の世界情勢、日本の置かれた現状を考えると「なんとか大難を小難に、小難は無難に」と祈らずにはいられない。
つづく
ご無沙汰しております。
去年からいろいろあって、すっかりブログから遠ざかっていました。
が。
「大嶽山那賀都神社の節分祭の記事だけは上げなければっ」という謎の使命感に突き動かされてこの記事を書いています。
何故かといえば大嶽山那賀都神社の節分祭は、その年を占う知る人ぞ知るスゴイお祭りだから。
だから一年が過ぎて節分祭の記事を読み直し答え合わせをする時はとっても真剣になる。
わたしが一番実感したのはコロナ禍の時。
異例づくしだったあの年の節分祭は後々語り草になる程だった。
だからそのことをよく知っている崇敬会の面々は「今年はどんな結果になるのか」と固唾を飲んで見守る。
…で、去年はどうだったかというと。
去年書いた記事をあげておこう。
『無事に節分祭、直会、片づけを終え、最後に崇敬会の面々が挨拶を交わし終わった直後、異変が起こった。
地震だ。
下から突き上げるような、地下に空洞があってそこから棒で突かれたような、不思議な感覚だった。
皆顔を見合わせ、地震情報を確認する。
どうやら震度3の地震があったらしい』
『これから書くのは、わたしの直感による個人的な感想だけど(言っておくけど、ホントにあくまでも個人的な感想ですからね!)粛々と進んだ令和6年は、安心しかけた年末辺り、注意が必要なのではなかろうか』
去年は元旦に能登で地震があったけれど、節分祭が催されたのはその後。
それ以降、特に何があったかなあ?
物価がやたら上がったとか?
11月にトランプが大統領になったりと、世界は劇的に変わっている。
まあ、あながち間違ってはいないかな?
それはともかく。
今年の節分祭はどうだったかというと。
今年の節分祭の神道護摩は、火力が強く近くで見ているとちょっと、いや、かなりドキドキした。
「だ、大丈夫なのか?弊、燃えちゃわないのか?」
結果として弊は少し焦げたけど、無事節分祭は終わった。

僭越ながら今年もわたしの個人的な感想を書いておこうと思う。
火力の強さがいつになく激しく、わたしがドキドキしたように、それなりの荒波はあって皆んなを心配させながらも結果としてなんとか危機を乗り越えるのではなかろうか?
そうだといいな。
今、スピに興味のある人のほとんどが知っている7月5日問題。
実は6月5日という話もあるけれど、昨今の世界情勢、日本の置かれた現状を考えると「なんとか大難を小難に、小難は無難に」と祈らずにはいられない。
つづく