2025年03月02日
おばさん一人旅のススメ(対馬・壱岐編)(3)
こんにちは。今日も楽しいマキオカです。
翌朝、早く目が覚めてしまったのでホテル周辺を散歩する。
他にも数人ぶらついている人を発見し「年寄りは朝が早いのう」と自分を棚に上げてひとり呟く。
…ん?
もしや一人旅って、独り言が多くなってしまうのんじゃないの?
ハタからみると、ぶつぶつ言っている寂しい老人に見えてしまうかもしれない。
気をつけよう。
高台から朝日を拝み

ホテルに戻り集合前に簡単な朝食を済ませ、バスに乗る。
このツアーは旅慣れしている人が多いようで、集合10分前には全員勢揃いする。
まるで最後に来た人は罰ゲームでもさせられるが如く、早め早めに集合する。
参加者は皆ジジババだ。
若い頃より動きが鈍いのを自覚しているので、時間に余裕を持つようにしているのだと思う。
そして皆決まり事のように、どんなに短い移動時間でも休憩の度にトイレに入る。
年寄りはトイレを我慢する苦しさ辛さを身を持って知っているから、休憩になると、すぐトイレの場所を探して目を泳がせる。
これはシニアツアーのお約束だ。(たぶん)
バスがまず向かったのは小茂田浜神社。

この海の向こうから900隻、総勢25000名の元軍の大群が姿を現したのだ。
地元民にしてみれば、さぞかし恐ろしい光景だったに違いない。
これに対し当時の守護代宗資国は400名を引き連れ迎え打ったが、約2時間奮戦した後あえなく全員散華したという。
青い海を眺めながら、鉛を飲み込んだかのようにずっしりと胸が重い。
土地に染み込んだ記憶が、わたしの足元からゾワゾワと囁きかけてくる。
今のわたしに出来ることは神社で亡くなった方々の冥福を祈ることだけだ。
その後、かつてこの地方で使われていた石屋根を見に行ったり(風が強いこの辺りの民家の原型らしい。突風でこんな石が飛んで来たり重さで潰れて下敷きになる可能性を想像してゾッとする)

ホテル近くで対馬名物だという穴子丼の昼食を頂く。
添乗員さんは「この後は自由行動です。わたしと歩いても、おひとりで行動されても大丈夫です」と弱々しい笑顔を浮かべながら皆に告げた。
この人を見ていると「添乗員さんのお仕事って、過酷なんだろうなあ」と想像してしまう。
昨日より少し顔色が良くなっているが、お節介なおばさんとしては「そんなことよりしっかり穴子丼を食べて精力をつけなさいね」と、ポンポンと肩を叩いてあげたい感じ。
わたしはひとりで歩くことにし、まずは対馬博物館に行ってみる。

まだ新しくもの凄く立派な施設ではあるが、人気がほとんどない。
シンと静まり返った館内の中では、綺麗な案内のお姉さんが数人ヒソヒソと話したり、暇そうに爪を眺めている。
順路通りに進んでいくと、あまりの内容の薄さにびっくり。
何故か刀伊の入寇はもちろんのこと元寇の被害についての記述が一切ない。
これはかの国に対しての忖度なのであろうが、我が国の歴史の重みをあまりにも蔑ろにしているといえるのではないか。
まるで巨大な空洞のような博物館を、虚しい気持ちを抱えながら後にする。
金石城、対馬藩主宗家の墓所をのんびりと歩きながら「自国の犠牲になった民を顧みることが出来ない歴史とは何だろう」とぼんやりと考える。
はっ、いかんいかん。
せっかくの一人旅、ネガティブな気持ちだけに引き摺られてはいられない。
ネガティブだって時にはいいけれど、基本「楽しく面白く」があってこそ。
早速、対馬朝鮮通信使歴史館に飾ってあった通信使の真っ赤な衣装を着て悦にいるわたしなのでした。
※もちろん撮影用の衣装ですよ。

つづく
翌朝、早く目が覚めてしまったのでホテル周辺を散歩する。
他にも数人ぶらついている人を発見し「年寄りは朝が早いのう」と自分を棚に上げてひとり呟く。
…ん?
もしや一人旅って、独り言が多くなってしまうのんじゃないの?
ハタからみると、ぶつぶつ言っている寂しい老人に見えてしまうかもしれない。
気をつけよう。
高台から朝日を拝み

ホテルに戻り集合前に簡単な朝食を済ませ、バスに乗る。
このツアーは旅慣れしている人が多いようで、集合10分前には全員勢揃いする。
まるで最後に来た人は罰ゲームでもさせられるが如く、早め早めに集合する。
参加者は皆ジジババだ。
若い頃より動きが鈍いのを自覚しているので、時間に余裕を持つようにしているのだと思う。
そして皆決まり事のように、どんなに短い移動時間でも休憩の度にトイレに入る。
年寄りはトイレを我慢する苦しさ辛さを身を持って知っているから、休憩になると、すぐトイレの場所を探して目を泳がせる。
これはシニアツアーのお約束だ。(たぶん)
バスがまず向かったのは小茂田浜神社。

この海の向こうから900隻、総勢25000名の元軍の大群が姿を現したのだ。
地元民にしてみれば、さぞかし恐ろしい光景だったに違いない。
これに対し当時の守護代宗資国は400名を引き連れ迎え打ったが、約2時間奮戦した後あえなく全員散華したという。
青い海を眺めながら、鉛を飲み込んだかのようにずっしりと胸が重い。
土地に染み込んだ記憶が、わたしの足元からゾワゾワと囁きかけてくる。
今のわたしに出来ることは神社で亡くなった方々の冥福を祈ることだけだ。
その後、かつてこの地方で使われていた石屋根を見に行ったり(風が強いこの辺りの民家の原型らしい。突風でこんな石が飛んで来たり重さで潰れて下敷きになる可能性を想像してゾッとする)

ホテル近くで対馬名物だという穴子丼の昼食を頂く。
添乗員さんは「この後は自由行動です。わたしと歩いても、おひとりで行動されても大丈夫です」と弱々しい笑顔を浮かべながら皆に告げた。
この人を見ていると「添乗員さんのお仕事って、過酷なんだろうなあ」と想像してしまう。
昨日より少し顔色が良くなっているが、お節介なおばさんとしては「そんなことよりしっかり穴子丼を食べて精力をつけなさいね」と、ポンポンと肩を叩いてあげたい感じ。
わたしはひとりで歩くことにし、まずは対馬博物館に行ってみる。

まだ新しくもの凄く立派な施設ではあるが、人気がほとんどない。
シンと静まり返った館内の中では、綺麗な案内のお姉さんが数人ヒソヒソと話したり、暇そうに爪を眺めている。
順路通りに進んでいくと、あまりの内容の薄さにびっくり。
何故か刀伊の入寇はもちろんのこと元寇の被害についての記述が一切ない。
これはかの国に対しての忖度なのであろうが、我が国の歴史の重みをあまりにも蔑ろにしているといえるのではないか。
まるで巨大な空洞のような博物館を、虚しい気持ちを抱えながら後にする。
金石城、対馬藩主宗家の墓所をのんびりと歩きながら「自国の犠牲になった民を顧みることが出来ない歴史とは何だろう」とぼんやりと考える。
はっ、いかんいかん。
せっかくの一人旅、ネガティブな気持ちだけに引き摺られてはいられない。
ネガティブだって時にはいいけれど、基本「楽しく面白く」があってこそ。
早速、対馬朝鮮通信使歴史館に飾ってあった通信使の真っ赤な衣装を着て悦にいるわたしなのでした。
※もちろん撮影用の衣装ですよ。

つづく